長沢 巌 牧師

1927年(昭和2年)11月21日生。
クリスチャンの母に感化され、幼少の頃から教会に通う。
一つ違いの姉が知的障がい者だったことや、カナダ人宣教師メイ・マクラクラン宣教師と出会ったことは、彼の人生に大きな影響を与えた。
東京神学大学卒業後、遠州教会副牧師として、聖隷保養園の結核患者慰問等にも関わる。
1958年榛原教会に就任してからは、教会の自立のために全力を傾けた。
十年後、教会再建の目途がつくと、「地域に仕える教会」の目標を掲げ、重度知的障がい児の施設建設に取り組む。
当時地域には、障がい者を抱えて苦悩している家族が多く、手をつなぐ親の会会長となっていた彼のもとに多くの相談や悩みが寄せられていたからである。
施設運営にあたっては「ともに生きる」や「施設民主主義」などキリスト教精神を土台にしつつ、「他者との対話」を重んじる方針を貫き、その姿勢は現在の牧ノ原やまばと学園に大きな影響を与えている。
1981年、髄膜腫摘出手術の不成功により、予期せぬ重度心身障がい者となる。
2007年1月16日、24年間の療養生活を終え天に召された。
創設者・長沢巌のお話
メイ・マクラクラン宣教師

カナダメソジスト教会・婦人伝道協会から派遣され、1924年(大正13年)に来日。
第二次大戦中は母国へ強制送還され、日系カナダ人収容所で青年たちの教育に携わる。
1947年、敗戦後の日本を再び訪れ、静岡英和女学院で教える。
また、虚無的になった青年たちを励まし、貧しい人々への援助も行った。
さらに、農村地区での伝道を助けるため、静岡英和をやめ、榛原教会へ。
当地では、宣教活動を助ける一方、農繁期には託児所を設置するなど、地域のニーズに応えた奉仕をされた。このマク先生の生きざまは、教会員に大きな影響を与え、のちに榛原教会よりやまばと学園を生み出す原動力となった。
1958年長沢巌牧師を迎え、教会再建の目途がつくと帰国を決意。
1963年、大勢の人々に惜しまれつつ帰途についた。
1991年10月13日召天。
社会福祉法人 牧ノ原やまばと学園の沿革 |
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年 | 月 | 内容 |
1958 | 4月 |
長沢巌牧師、日本キリスト教団榛原教会に赴任。 榛原教会はこの年から三年間教団の援助を受け、再建に取り組む。 |
1959 | 6月 |
カナダ合同教会からの婦人宣教師A・メイ・マクラクランの手によって吉田町片岡に農繁期託児所が開設。 後、教会婦人会に引き継がれ、やまばと学園開園の前年まで続けられた。 |
1963 | 11月 |
マクラクラン宣教師、定年にて帰国。 |
1967 | 2月 |
榛原町手をつなぐ親の会結成。長沢牧師は会長に選ばれる。 当時は施設の数が少なく、あっても遠方だったため、障がい児の親たちは近隣に施設ができることを切望。 一方、榛原教会は自立の目途がつき、教会の今後の使命は地域に仕えることであると、牧師ならびに教会員たちは受けとめるようになる。 長沢牧師は重い知恵遅れの姉を持っていたため、障がい者を抱える家族の苦悩をよく理解し、この苦しみを教会として担うことはできないものかと考えた。 |
11月 | 社会福祉法人聖隷保養園(現在の聖隷福祉事業団)の長谷川保理事長から「施設をつくるなら名前を使っていいですよ」との申し出があり、施設建設計画の希望が見え始める。 | |
1968 | 5月 | 榛原教会総会において、教会を挙げて施設建設計画を進めることを決議。 |
9月 | 第一回牧ノ原やまばと学園設立準備委員会(後の運営委員会)を開催。運営委員長は長沢巌。 | |
10月 | 機関紙「やまばと」第一号発行。 | |
1970 | 4月 | 重い知恵遅れの子どもたちの居住施設『やまばと学園』開園(定員30名)。 その障がいの重さの故に県下のどの施設でも受け入れてもらえなかった子どもたちをあえて引きうける。初代園長は宮崎道子、事務長は大井淳地。 |
1973 | 5月 |
重い知恵遅れのおとなたちの居住施設『やまばと成人寮』開設(定員30名)。 初代寮長は深井吉之助。 |
9月 | 牧ノ原やまばと学園診療所開設。初代所長は小児科医の板倉静夫。 | |
1979 | 5月 |
聖隷福祉事業団から独立し、社会福祉法人牧ノ原やまばと学園設立。 初代理事長に長沢巌が就任。 |
1981 | 5月 |
特別養護老人ホーム『聖ルカホーム』開設(定員50名)。高齢者福祉事業に初めて取り組む。 初代施設長は板倉静夫。 |
1983 | 2月 | 長沢巌理事長は髄膜腫摘出手術を受ける。成功率95%と言われたが、結果は深刻な状態に。「四肢まひ、視力障がい、意識障がい」という重度心身障がい者になり、以後3年間は、深井吉之助が理事長代理を務める。 |
1986 | 7月 | 理事長を退任した長沢巌に代わって、長沢道子(妻)が、2代目理事長に選任される。 |
1987 | 4月 |
やまばと学園卒園生27名に、13名の新利用者を迎え、『垂穂寮』を島田市湯日に開設(定員40名)。 園児として残った2名に18名の新入園児を加えて、『やまばと学園』継続。 |
7月 | ジャン・バニエさんが来日し、牧ノ原やまばと学園を訪問。 | |
1995 | 4月 | 聖ルカホームにてショートステイ介護事業を開始(定員10名)。 |
1997 | 3月 | 児童施設の使命は終わったと判断し、『やまばと学園』を廃園。 |
4月 | 『やまばと学園』より移った20名の寮生と10名の新入寮生とで『やまばと希望寮』を開設(定員30名)。 | |
『ケアセンターさざんか』(定員15名)開設。法人初の通所施設で、『やまばと希望寮』の中に併設。 | ||
1999 | 4月 | 『垂穂寮』は、所在地の湯日地区が静岡空港建設予定地となったため、同市内落合へ移転。移転とともに定員変更(40名→50名)と通所部門(定員19名・『ケアセンター野ばら』)を併設。 |
高齢者の通所施設『デイサービスセンター真菜』を開設。 | ||
2000 | 4月 | 介護保険制度が始まり、『聖ルカ居宅介護支援事業所』開所。 |
「相良町手をつなぐ育成会」創設の心身障がい者生活寮『こづつみ寮』をバックアップし始める。 | ||
10月 | 静岡県からの委託で、在宅障がい者の生活を支える『生活支援センターやまばと』を開設。 | |
11月 | 在宅高齢者へのホームヘルパー派遣事業『ライフサポートさふらん』を開設。 | |
2002 | 11月 | 『本部事務所』と『ケアセンターさざんか』の増改築工事。 |
12月 | 高齢者相談窓口『聖ルカ在宅介護支援センター』を榛原町の委託で、開設。 | |
2003 | 4月 | 『ライフサポートさふらん』が知的障がい者の訪問介護事業を開始。 |
10月 | 『ライフサポートさふらん』が知的障がい児の訪問介護事業を開始。 | |
2004 | 2月 | 心身障がい者生活寮『青葉の家』(定員5名)を島田市に開設。 |
10月 | 『青葉の家』、『こづつみ寮』はグループホームへ移行。 | |
2005 | 3月 | 心身障がい者生活寮『みぎわホーム』(定員5名)を島田市に開設。 |
4月 | グループホーム『第二こづつみ寮』の運営を受託。 | |
地域活動支援センター『ケアセンターマーガレット』を吉田町に開設。 | ||
島田市の小規模作業所『しまだ作業所』、『あさがお作業所』、『なのはな作業所』の運営を島田市手をつなぐ育成会から引継ぐ。 | ||
3月 | 『みぎわホーム』はグループホームへ移行。 | |
2006 | 4月 |
『ケアセンターかたくりの花』開設(定員20名)。 小規模作業所『希望の家作業所』、『やまばと作業所』の運営を手をつなぐ育成会から引継ぐ。 『牧之原市包括支援センターオリーブ』を開設。 |
10月 | 『障がい者自立支援法』が施行され、『ケアセンターさざんか』が新体系(生活介護)へ移行。 | |
「青葉の家」が新体系(共同生活援助)へ移行。 | ||
「ライフサポートさふらん」の児童訪問介護事業を休止。 | ||
2007 | 1月 | 長沢前理事長、24年間の療養生活を終え天に召された。 |
4月 | 『ワークセンターカサブランカ(就労継続支援A型・定員15名)』を開設。 | |
養護老人ホーム『相寿園』(定員50名)の運営を相寿園管理組合から受託。 | ||
『島田作業所』は、『ワークセンターコスモス(就労継続支援B型)』及び『ワークセンターレインボー(就労移行支援)』の多機能型へ移行。 | ||
「ライフサポートさふらん」の児童訪問介護事業を休止。 | ||
10月 | 『ケアセンター野ばら』が新体系(生活介護)へ移行。 | |
2008 | 4月 | 「垂穂寮」が新体系(障害者支援施設)へ移行。 |
6月 | 吉田町障害児放課後児童クラブ「まつぼっくり」を開設。 | |
2009 | 3月 | 『聖ルカ在宅介護支援センター』の事業を廃止。 |
4月 | 『こづつみ寮』、『第二こづつみ寮』の運営を社会福祉法人一羊会へ移行。 | |
『やまばと作業所』は、『ワークセンターやまばと(就労継続支援B型)』へ移行。 | ||
『なのはな作業所』は、『ワークセンターなのはな(就労継続支援B型)主たる事業所』へ移行。 | ||
『あさがお作業所』は、『ワークセンターなのはな(就労継続支援B型)従たる事業所』へ移行。 | ||
『希望の家作業所』は、『ワークセンター希望の家(就労継続支援B型)』へ移行。 | ||
小規模作業所「吉田町さくら作業所」を吉田町身体障害者福祉会から引継ぐとともに、新体系(就労継続支援B型)へ移行。 | ||
地域活動支援センター「ワークセンターふれあい」の運営を、手をつなぐ育成会から引継ぐ。 | ||
「生きがいガーデンこにた」事業を牧之原市から受託し、介護予防拠点施設「コミュニティセンターぶどうの木」として運営を開始。 | ||
2010 | 3月 | 「みぎわホーム」の活動を終結。 |
4月 | 共同生活介護事業所「ケアホームわかば(定員10名)」、「ケアホームもくれん(定員10名)」、「ケアホームみぎわ(定員10名)」を開設。 | |
「やまばと希望寮」が新体系(障害者支援施設)へ移行。 | ||
8月 | 地域密着型特別養護老人ホーム「グレイス(定員29名)」を開設。 | |
短期入所事業所「グレイスショートステイ(定員8名)」を開設。 | ||
認知症対応型通所介護事業所「デイサービスセンターすずらん(定員12名)」を開設。 | ||
9月 | 聖ルカ居宅介護支援事業所」は、聖ルカホーム併設からグレイス併設となり、名称を「シャローム」へ変更。 | |
10月 | 吉田町障害者自立支援施設「あつまリ~ナ」開所に伴い、「吉田町さくら作業所」は移転し、「ワークセンターさくら」に名称変更するとともに、「ケアセンターマーガレット」との多機能型事業所(就労継続支援B型)となる。 | |
「ケアセンターマーガレット」は「あつまリ~ナ」に移転し、「ワークセンターさくら」と合わせて多機能型事業所(生活介護)となる。 | ||
「まつぼっくり」は「あつまリ~ナ」に移転する。 | ||
地域活動支援センター「レタスクラブ」を開設。 | ||
2011 | 4月 |
「ワークセンターふれあい」が家山に移転し、ワークセンター希望の家(就労継続支援B型)従たる事業所「ワークセンターふれあい(定員15名)」となる。 「ワークセンター希望の家」は「ワークセンター希望の家の主たる事業所」となる。 |
共同生活介護事業所「ケアホームわかば(定員10名)」、「ケアホームもくれん(定員10名)」、「ケアホームみぎわ(定員10名)」を開設。 | ||
「就労移行支援センターレインボー」が「ワークセンターコスモス」との併設から、「ワークセンターさくら」に併設となる。それに伴い、「ワークセンターコスモス」は、多機能型事業所から単独の就労継続支援B型事業所となる。 | ||
2012 | 4月 | 「ワークセンターあさがお」が、「ワークセンターなのはなの従たる事業所」から独立し、単独の就労継続支援B型事業所となる。(定員20名) |
2014 | 4月 | 「島田市立養護老人ホームぎんもくせい」の運営を島田市から受託、運営を開始。 |
10月 | 「聖ルカホーム」を牧之原市坂口へ移転新築し、定員を20名増床して運営を開始。(定員70名) | |
2016 | 3月 | 「青葉の家」の活動を終結。 |
4月 | 共同生活援助事業所名称から「ケアホーム」を除き、「みぎわ」、「わかば」、「もくれん」となる。「みぎわ」は垂穂寮職員宿舎を「青葉棟」と改築して増員。(定員15名) | |
2017 | 3月 | 「まつぼっくり」の活動を終結。 |
4月 | 「ワークセンター希望の家」従たる事業所「ワークセンターふれあい」の定員増。)定員20名、全体定員40名) | |
5月 | 「ワークセンターなのはな」が、新施設となり定員増。(定員30名) | |
2018 | 3月 | 「就労移行支援事業所レインボー」の活動を終結。 |
2020 | 4月 | 「ワークセンターあさがお」を移転新築。 |
2022 | 5月 | 「ケアセンター花もも」(「ケアセンターさざんか」から改称)・「デイサービスセンター真菜」を移転新築。 |